グローバルナビゲーションへ

本文へ

ローカルナビゲーションへ

フッターへ



TOP >  お茶のはなし >  お茶の歴史

お茶の歴史


日本茶の歴史

日本のお茶は、平安時代の初期(約1200年前)に伝教大師(最澄)や弘法大師(空海)など、唐に留学した僧侶によって中国からお茶を持ち帰ったのが始まりとされています。
その後、鎌倉時代に栄西禅師が中国からお茶を伝えると共に「喫茶養生記」をあらわし、「茶は養生の仙薬なり、延齢の妙薬なり」と喫茶の効能を宣伝したためお茶への関心が高まりました。静岡茶は駿河の国栃沢(現在の静岡市)に生まれた高僧の聖一国師が中国から種子をもたらし、出生地に近い足久保(本山茶産地)に蒔いたのが始まりとされております。また、大応国師は宋より茶台子と茶に関する書物を持ち帰り、茶宴や闘茶の習俗を日本に持ち帰ったとされています。(弊社所在地の静岡市葵区井宮町には大応国師誕生の井戸が市の史跡として残されております)
明治維新には、徳川藩士や川越人足らによる大規模な牧之原開拓など、立地条件もあいまって日本一の大茶産地となる基盤が作られ、現在では生産量、品質、流通面においても茶業の拠点となっております。

お茶壺道中

徳川家康公は大のお茶好きでした。江戸時代初期、徳川家康公が駿府城で大御所時代を送っていたころ、駿府城内で茶会を催すために、深い味わいの静岡本山茶の風味を損なわないよう保管、管理をする為に夏でも冷涼な井川大日峠(駿府城から40Kmほど北部、海抜1200m)にお茶蔵を建設し、毎年八十八夜の頃に摘んだ美味しい新茶をお茶壺に詰めてお茶蔵で保管しました。夏から秋にかけての5ヶ月ほどでお茶は熟成し味と香りが一層増します。晩秋に山から下し、そのお茶でお茶会が催されたそうです。井川から駿府城までお茶を運んだ行列がお茶壺道中行列です。
ずいずいずっころばし、ゴマ味噌ずい♪♪茶壺に追われてトッピンシャン(行列が通る時に子供が外に出ないように戸を閉めた音・・・戸をピッシャン)昔誰もが口ずさんだことのある歌はお茶壺道中の一行を歌った歌のようです。
現在でも当時の故事に習い、10月の下旬に駿府本山お茶壺道中として井川のお茶蔵で夏から秋にかけて熟成させた本山茶を国宝の久能山東照宮に祀られている徳川家康公に奉納する行事を行っております。

本山茶

静岡茶発祥の地であります「本山茶産地」。静岡市を縦断して流れる安倍川は豊富な伏流水を持った日本の水100選にも選ばれた水清い急流です。その上流の流域を囲む茶産地の山々は、しっとりと川霧を抱き、茶葉に照り付ける陽差しを和らげます。また、寒暖の差がはげしいこと、土がミネラルを多く含んでいることも良質なお茶が出来る理由です。大自然が創り出したふくよかな香りと深く澄みわたる味わいが特徴です。